イライラが止まらない!!手を上げてしまいそうになる自分も認めてあげよう

えりぃと申します。

本日もゆとりがなくても子育てを楽しむ方法をお伝えしていきますね。

わたしの子供は小学生の長男。

幼稚園児の次男。

未就園児の長女。

そして、1歳年上のでっかい長男・・・・という名の主人です。

日々、時間に追われ、慌ただしく過ごしています。

人様にはいつも「大変ね^^;」とか、

「託児所状態ね」とか

「もうここまできたら、子どもが増えてても変わらないでしょう」とか

とにかくかわいそうというか、同情されています。

何より、わたしがいつもイライラ怒っているから、ということもあるでしょう。

髪を振り乱し、自分のおしゃれよりも動きやすさを重視した服装。

時には手もあげ・・・・・・・

そう、わたしは手を上げることもあります。

今、世間で話題になっている、「虐待」と変わらないのでは・・・・・

そう思うほどに、イライラが収まらない時があります。

しかも、最初は子どもに手を上げた後、ものすごい後悔をしていました。

「なんで叩いてしまったんだろう・・・・・」

「この子は大人であるわたしには力で敵わないのに・・・・」

「怖かっただろうに・・・・」

「ごめんね・・・・」

そう、思っていました。

叩いた直後や寝顔を見ては自己嫌悪に陥っていました。

しかし、それよりも怖いものがありました。

「慣れ」です。

叩くことに、慣れていってしまうんです。

「なにやってるの!!」

ばちん!!

の、あとに「もう!こんなに怒らせて!!!」

となってしまうのです。

そうなると、もう止まりません。

エスカレートするばかりなんですよね。

なにせ、子供も叩かれることに「慣れ」てしまうんです。

だから、ちょっと叩くだけでは聞かなくなってしまう。

そうして、大きな事件へとつながるのです。

わたしがそれに気がついたのは

くしくも、自分が逃げたから、でした。

手を上げても、子供はその時怯えておとなしくなるだけで響かないんですよね。

だから繰り返すんです。

そして、怒鳴り声をあげて、声も枯れて、

「もうやだ!!」となって、

トイレに入ったのです。

トイレは鍵もかけられるし、

ひとりの空間ができるのです。

そこで落ち着いたら、

「あら・・・・?わたし、最近子どもに手を上げてるのに慣れてない?」

と、気が付いたのです。

一気に血の気が引きました。

気が付けば、手を上げて自己嫌悪に陥ることもなくなっていて、

ただただ、手を上げてもすっきりするわけでもないので

余計にイライラが募っていたのでした。

まず、落ち着こう。

そうして、深呼吸を3回ほどしました。

そして、切り替える。

そう決めました。

手を上げた後に、子供が言うことを聞くことなんてなかった。

自分が心からすっきりしたことなんてなかった。

いいことではないんです。

気が付いてから、対応を変えただけで

子どもたちは驚くほどに変わりました。

子供は素直だから、状況が変わったことにも素直に適応していくんですよね。

そうすると、わたしも素直になれたし、

日々慌ただしくても手を上げることがなくなりました。

わたしがしたことは、

まず、イライラしている自分を認めることです。

外に出ると、穏やかな親子連れをよく見かけます。

みんな笑顔で、キラキラして見えます。

でも、何もない親子なんていません。

あるとき、ママさん同士で話していた時に

「頭来るんだよね、イライラするし」と話しているママがいて、

そしたら堰を切ったようにみんな「そうそう!!」「叩くことあるし!」と話し出しました。

みんな、わたしから見たらキラキラ穏やか親子に見えていたのに、です。

つまり、隣の芝は青いし、よく見えるんです。

そして、こんなイライラする気持ちも

自分が悪いから、できないから、じゃないんです。

親として成長していくために、もがいているからなんです。

二つ目に、イライラしてしまうときには物理的に距離を置く、ことです。

わたしたち母親だって人間です。

特に産後や生理の前後など、女性は自分ではどうしようもない身体の状態に振り回されがちになります。

イライラしてしまう自分を認められたら

イライラしているときもわかるようになります。

そうしたら、落ち着くためにも距離を置きます。

わたしは「トイレ」です。

専業主婦ですし、外へ出るときにも預け先がありません。

なので、おうちの中で籠れる場所は鍵のかかる「トイレ」です。

そして、深呼吸で落ち着きます。

一時保育や預け先のある人は1時間でも預けてみて、

ひとりで温かいお茶を飲む時間くらいがあるといいと思います。

そうして、距離を置いて落ち着いたら、

最後にすることは「演じる」ことです。

これは、はじめはぎこちなくても

「こうしてくれるとうれしいなぁ」

「どうしてそういうことをするの?」

「こうされると困っちゃうなぁ」

と、穏やかに話しかけてみることです。

まさに「女優」です。

そうしていくと、はじめはぎこちないのですが

まず子どもたちがすぐに変わります。

「あ!これしちゃうとママ困っちゃうよね」

「ごめんね、壊しちゃった」

「こうしようと思ったんだけど、うまくできなかった・・・」

「ママ、これしといたよ!上手にできたよ!」

と、変わってきます。

そうすると、母親である自分も

演じるのではなく、自然と穏やかになっていきます。

虐待は連鎖すると言いますし、

なにより子どもの目には見えない傷として残ります。

手を上げる=すぐに虐待、ではなくても

「慣れ」が訪れます。

そうなる前に、立て直しましょう。

子育てはやり直しができます。

遅すぎることはありません。

立ち止まって、自分を振り返り、

そうだと思ったら、実行してみましょう。

わたしみたいな状態でも

今では「こんなに汚かったらごはんも食べられない、む~り~(妖怪ウォッチのムリカベのマネ)」と言いながら、

できないことは無理にしないようになり、

子どもたちも「あ!ママがムリカベになった!大変だ!片づけるぞ~!!」

と、笑いながらお片付けに精を出すようになったりしています。

そうすると、笑いが増えて、空気も穏やかになり、

会話も増えていくんですよね。

遅すぎることはありません。

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